迂回して帰りましたが、クタクタです・・。
そして明日は課題を仕上げないといけないので、かなり追い詰められた状況・・。
絶対来年は週休3日になるように時間割を組み立てたい!と思っている次第です。
サークルも思うように行けませんし、バイトもどこに入れるか悩みどころですし、正直かなり不自由な時間割で・・。
しかも選択科目もかなりハマリ科目をとってしまったようで、後悔・・。
さて、何か暗い話ばかりですが、もちろんそれだけじゃありません。
「あー、俺大学生してるなー」って思うことも結構あります(笑
あとは時間が経てば、いい方向に向かっていくでしょう。
さて、趣味のほうは少しおとなし気味な最近・・なので、今回はストックの中から「駅」を中心とした画像を。
KATOの近郊型ホームです。
イメージで言うと、やはり東京駅でしょうか。。
コンビニとE231系が、「JR」を象徴します。
駅端部の情景。
最近首都圏では禁煙化されましたが、喫煙所はホーム端にある場合が多く、自販機も隣接しています。
梯子はどう見ても太すぎる気がしますけど・・。
時を越えた出会い。
「急行東海」はおろか、「特急東海」も過去のものになって早数年・・。
東京駅の5・6番線から東海道線ホームを見るとこんな感じでしょうか。
時間があるときに、駅にも手を加えていきたいところです。
今日は1限からで6時前に起床。
毎週この2日間はキツいです・・。
さて、富士・はやぶさの続編・・というか、その後の様子を・・。
テックステーションに発注していたオロネ25-1の素ボディが届きました。
今までのオロネ25-700改と差し替え、車番を変更しています。
ドア上の「シングルDX」のロゴがアクセント。
画像奥に、これまでのオロネのボディが転がってますが、ちょっと使い道が無いです・・。
ガラスや下回りもないですし・・。
あとはスハネフ15-20(画像オロネの隣)を再塗装。
オハネ15-2000の屋根を再塗装。
など、ちょっと気に食わなかった部分を手直し。
それでもスハネフ15-20はちょっと手の施しようが無い感じになってしまっているので、あわよくばもう1両欲しい・・。
昨日の朝日新聞の夕刊に、東京メトロでダイヤグラムを作成する方の話が出ていました。
いわゆる「スジ屋」。
ダイヤ改正の度に、緻密な計算をし、過密なダイヤを作成するんです。
驚いたのが、全部手作業だってこと。
そろばんを使い、最終的な調整以外はすべて頭と手で・・。
しかも、実際に半年も前から実際に乗ってみて、時間を計り・・ということをした上で作業に移るそうです。
ダイヤ改正の日はずっと落ち着かない気持ちで1日の終わりを待っているとか。
もちろん、どの鉄道会社もダイヤ改正はあるわけで、その度に見えない努力があるんだなーと感じました。
もっとも、全ての会社で同じことをしているわけではないでしょうけど。
でも、当然のことですが、普段使っている鉄道がどれだけの現場の方の支えの上に成り立っているか、改めて思い知らされた気がします。
「くさい」記事になってしまいましたが、昨日に続き、ちょっと思ったことを書いてみました。
さて、画像は久々に模型で455系磐越西線。
クロハ455セットのほうです。
実家が福島だったので、何度か乗ったことがある車両でしたが、既に引退してしまいましたね・・。
模型はよく出来ているのですが、塗装が厚く、モールドが埋まっている部分があるなど、やや不手際が目立つものです。
元々は叔父の幼い頃に買ったものらしく、今では自分の部屋にあるわけです。
事あるごとにこの雑誌には目を通してきたんですが、とにかく、「30年前」という世界はJR世代の自分からすれば、まさに「超現実」です。
ブルトレは20系が健在、24系25型は新米車両で、「2段式」というだけでもてはやされた時代です。
ただ、この当時、すでにブルトレは全盛期を過ぎていました。
EF65PFが東京口で走り始めた頃ですが、やはり全盛期はP型の時代。
この雑誌にも、ブルトレの存続に関する悲観的な記事が既に載っていたのです。
値がはり、サービスが悪くて、遅いブルトレを使う人がいることが不思議だと、そんな感じの記述さえ・・。
とはいえ、乗車率は8割が普通という時代。
まだ食堂車が連結されていましたし、繁忙期は切符が取れないくらいの人気があったとか。
それでも・・既に人気は下降線。
食堂車は直後に運用から外れ、この後ブルトレは衰退していくことになります。
30年前といっても東海道新幹線は軌道に乗り始め、航空機も一般的になり始めていた時代。
もちろん、多様な個室の誕生や、グレードアップで一時的に盛り返していく時期はあったものの、結果的に先日の改正を最後に、九州ブルトレの命運は尽きました。
何が言いたいか・・・
つまり、既に人気が凋落傾向にあった30年前から2009年まで、よく九州ブルトレが2列車も残ってたな~という感慨です。
しかも、「日本海」に至ってはほとんど当時と変わらぬ姿で活躍していて・・。
興味深いところでは、当時誕生したばかりのオロネ25の試乗レポートがあるんですが、とにかく評価が酷なんです。
狭いベッドに圧迫感ある空間、これでA寝台なのか!という怒りすら感じられる記事です。
それが・・多少の内装変更はあったにせよ、オロネ15-3000という形でつい先日まで残っていたわけですから・・。
ここ10年でブルトレ廃止・・というのを何度聞かされてきたか・・。
ただ、捉え方を変えて「もうこれだけしか残っていない・・」というより「まだこんなに残っている」と考えると・・ちょっとブルトレに対する感覚も変わってくるかもしれません。
「あけぼの」は2010年末の新幹線延伸まで、と考えるとあと1年半。
「北陸」「日本海」も北陸新幹線開業の5年後まで残れば・・といったところ。
とはいえ、残るブルトレには一日も長い活躍を願ってやみません。
画像は・・ブルトレというカテゴリーからは逸脱しますが、おそらく最後まで残る「寝台特急
GWが終わり、昨日は最後の新歓へ行って、そろそろサークルも絞込みという時期。
授業のほうも、来週から2コマ(/週)増え、いよいよ本格的に授業モードに入っていくことになりそうです。
1ヵ月後には数学のテストが控えていて、ちょっと理系の力を借りて対策しないと・・って感じです(笑
しばらく連休も無く、週休1日がずっと続くので、正直しんどいですが夏休みまで走り抜けたいと思います。
まあ、大学なんて出席の無い授業は切ればいい話ですが・・^^;
いや・・嘘です。
出来るだけ1年のうちは真面目に・・というのが信条ですので。。
さて、画像のほうは趣向を変えて、ストックしてある風景画を載せておきます。
もしかすると以前のブログで既出かもしれませんが・・。
最近はご無沙汰な根府川の風景。
鉄道とは関係なく、今度歩きに行きたいです。
ちょっと大きめなので、壁紙にもどうぞ。
今年度で成人の90年生まれ。
HNはかつてのあだ名から。
旧HNは急行銀河でした。
(開設09/03/04)
Powered by "Samurai Factory"