湘南地域在住の管理人による趣味に特化した自己完結のブログ・・
日常の些細な記事なども。
Posted by GAN - 2009.05.11,Mon
家に、30年ほど前の昭和54年発行、鉄道ジャーナル別冊の「ブルートレイン」という雑誌があります。
元々は叔父の幼い頃に買ったものらしく、今では自分の部屋にあるわけです。
事あるごとにこの雑誌には目を通してきたんですが、とにかく、「30年前」という世界はJR世代の自分からすれば、まさに「超現実」です。
ブルトレは20系が健在、24系25型は新米車両で、「2段式」というだけでもてはやされた時代です。
ただ、この当時、すでにブルトレは全盛期を過ぎていました。
EF65PFが東京口で走り始めた頃ですが、やはり全盛期はP型の時代。
この雑誌にも、ブルトレの存続に関する悲観的な記事が既に載っていたのです。
値がはり、サービスが悪くて、遅いブルトレを使う人がいることが不思議だと、そんな感じの記述さえ・・。
とはいえ、乗車率は8割が普通という時代。
まだ食堂車が連結されていましたし、繁忙期は切符が取れないくらいの人気があったとか。
それでも・・既に人気は下降線。
食堂車は直後に運用から外れ、この後ブルトレは衰退していくことになります。
30年前といっても東海道新幹線は軌道に乗り始め、航空機も一般的になり始めていた時代。
もちろん、多様な個室の誕生や、グレードアップで一時的に盛り返していく時期はあったものの、結果的に先日の改正を最後に、九州ブルトレの命運は尽きました。
何が言いたいか・・・
つまり、既に人気が凋落傾向にあった30年前から2009年まで、よく九州ブルトレが2列車も残ってたな~という感慨です。
しかも、「日本海」に至ってはほとんど当時と変わらぬ姿で活躍していて・・。
興味深いところでは、当時誕生したばかりのオロネ25の試乗レポートがあるんですが、とにかく評価が酷なんです。
狭いベッドに圧迫感ある空間、これでA寝台なのか!という怒りすら感じられる記事です。
それが・・多少の内装変更はあったにせよ、オロネ15-3000という形でつい先日まで残っていたわけですから・・。
ここ10年でブルトレ廃止・・というのを何度聞かされてきたか・・。
ただ、捉え方を変えて「もうこれだけしか残っていない・・」というより「まだこんなに残っている」と考えると・・ちょっとブルトレに対する感覚も変わってくるかもしれません。
「あけぼの」は2010年末の新幹線延伸まで、と考えるとあと1年半。
「北陸」「日本海」も北陸新幹線開業の5年後まで残れば・・といったところ。
とはいえ、残るブルトレには一日も長い活躍を願ってやみません。
画像は・・ブルトレというカテゴリーからは逸脱しますが、おそらく最後まで残る「寝台特急
」。
元々は叔父の幼い頃に買ったものらしく、今では自分の部屋にあるわけです。
事あるごとにこの雑誌には目を通してきたんですが、とにかく、「30年前」という世界はJR世代の自分からすれば、まさに「超現実」です。
ブルトレは20系が健在、24系25型は新米車両で、「2段式」というだけでもてはやされた時代です。
ただ、この当時、すでにブルトレは全盛期を過ぎていました。
EF65PFが東京口で走り始めた頃ですが、やはり全盛期はP型の時代。
この雑誌にも、ブルトレの存続に関する悲観的な記事が既に載っていたのです。
値がはり、サービスが悪くて、遅いブルトレを使う人がいることが不思議だと、そんな感じの記述さえ・・。
とはいえ、乗車率は8割が普通という時代。
まだ食堂車が連結されていましたし、繁忙期は切符が取れないくらいの人気があったとか。
それでも・・既に人気は下降線。
食堂車は直後に運用から外れ、この後ブルトレは衰退していくことになります。
30年前といっても東海道新幹線は軌道に乗り始め、航空機も一般的になり始めていた時代。
もちろん、多様な個室の誕生や、グレードアップで一時的に盛り返していく時期はあったものの、結果的に先日の改正を最後に、九州ブルトレの命運は尽きました。
何が言いたいか・・・
つまり、既に人気が凋落傾向にあった30年前から2009年まで、よく九州ブルトレが2列車も残ってたな~という感慨です。
しかも、「日本海」に至ってはほとんど当時と変わらぬ姿で活躍していて・・。
興味深いところでは、当時誕生したばかりのオロネ25の試乗レポートがあるんですが、とにかく評価が酷なんです。
狭いベッドに圧迫感ある空間、これでA寝台なのか!という怒りすら感じられる記事です。
それが・・多少の内装変更はあったにせよ、オロネ15-3000という形でつい先日まで残っていたわけですから・・。
ここ10年でブルトレ廃止・・というのを何度聞かされてきたか・・。
ただ、捉え方を変えて「もうこれだけしか残っていない・・」というより「まだこんなに残っている」と考えると・・ちょっとブルトレに対する感覚も変わってくるかもしれません。
「あけぼの」は2010年末の新幹線延伸まで、と考えるとあと1年半。
「北陸」「日本海」も北陸新幹線開業の5年後まで残れば・・といったところ。
とはいえ、残るブルトレには一日も長い活躍を願ってやみません。
画像は・・ブルトレというカテゴリーからは逸脱しますが、おそらく最後まで残る「寝台特急
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Comments
無題
こんばんは。
24系は20系に比べると格落ちの印象がしますね。晩年の15・25型ステンレス帯は目に余るほど汚かったです…。
料金が高いA寝台でも14人程載せなければ採算ラインぎりぎりの設計だったのかもしれませんね。
B寝台は2段化が採算悪化に影響したようです。
日本海の開放A下段は車窓を眺めるのにもってこいですし乗ってみたいと思ってます。
24系は20系に比べると格落ちの印象がしますね。晩年の15・25型ステンレス帯は目に余るほど汚かったです…。
料金が高いA寝台でも14人程載せなければ採算ラインぎりぎりの設計だったのかもしれませんね。
B寝台は2段化が採算悪化に影響したようです。
日本海の開放A下段は車窓を眺めるのにもってこいですし乗ってみたいと思ってます。
無題
こんばんは。
やはり自分の世代からしても20系=ブルトレという感じがしますし、やはり24系は20系より「軽い」感じがします。
確かにあのステンレス帯は・・登場時の写真と比べると、本当に別物のようになっていて、痛ましかったです・・。
やはりA個室は14室でもかなり苦肉の策だったようですね。それを考えると北陸のA個室は11室でよくやっているな~という感じですが・・。
日本海のA寝台は是非1度乗りたいですね!
生きた化石的な存在ですし、下段は窓独占できて最高でしょうね。
やはり自分の世代からしても20系=ブルトレという感じがしますし、やはり24系は20系より「軽い」感じがします。
確かにあのステンレス帯は・・登場時の写真と比べると、本当に別物のようになっていて、痛ましかったです・・。
やはりA個室は14室でもかなり苦肉の策だったようですね。それを考えると北陸のA個室は11室でよくやっているな~という感じですが・・。
日本海のA寝台は是非1度乗りたいですね!
生きた化石的な存在ですし、下段は窓独占できて最高でしょうね。
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都内の某私立大学に通う男子。
今年度で成人の90年生まれ。
HNはかつてのあだ名から。
旧HNは急行銀河でした。
(開設09/03/04)
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